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雲仙・普賢岳(ふげんだけ)の噴火災害について

2022年6月3日

がまだすドーム展望台からの眺め。中央が雲仙・普賢岳。

今回は私の出身地でもある、長崎県の島原半島で起こった歴史的な噴火災害について投稿します。

長崎県の雲仙・普賢岳は1990年11月17日に198年ぶりの噴火活動を再開し、1991年6月3日16時8分に発生した火砕流では多数の被害者が出ました。この噴火活動は1995年までおよそ4年半続きました。

火砕流が発生した当時、私は小学校6年生で、空から噴石と火山灰が降ってくるのを放課後の教室の窓から見ました。空をすべて覆っててしまうほどの噴煙の大きさで夜になったかのようにあたりが暗くなったことを覚えています。

火砕流が直撃する場所ではなかったのですが、地震も頻繁に起こっていたので噴火当時はとても怖い思いをしました。

火砕流発生後は半年間転校し一時的に避難していましたが、中学校はまた島原へ戻りました。 被災地に近い中学校と2校合同で一年間過ごし、ヘルメットを着用して登下校しました。火砕流が発生すると火山灰が降り積もり体育をすることができなくなるので、体育の時間は火山灰の除去作業の時間になることが多かったです。 約2年は噴火の影響を受けましたが、幸い私の住んでいた地域には大きな被害は出ませんでした。

島原市には雲仙岳災害記念館として「がまだすドーム」が造られました。火山や防災、ジオパークまで、幅広く学ぶことができるミュージアムです。

ご興味のある方はぜひ行ってみてください。

がまだすドームの敷地内にあるモニュメント「COSMIC VOLUME」

担当:長崎支店 山田